ちょい足し? 引き立て役? 美女ジャケ中の“男の後ろ姿”の役割
【第13回】美女ジャケはかく語りき 1950年代のアメリカを象徴するヴィーナスたち
■男の肉体は過去の思想の遺物にすぎない?
そうか! 美女ジャケには積極的な男はあまり登場しないのだ!
連載第5回でも取り上げた、巨大なパンを抱えて立つザビア・クガートのように、男が女性に興味を持っていそうだとエロオヤジに見えてしまう。センスの良い美女ジャケは、いかに美女を際立たせるかを第一にして、その他のものを控えめにしているからセンス良く見えるということなのだ。
ますます影のように、亡霊のようにしか存在しえない美女ジャケのなかでの恋愛模様の男たち。こちらもレス・バクスターの「Thinking of You」での男は、まさに亡霊、というかちょっと不気味。
ライティングに凝りまくるCapitolレコードの制作部は、このアルバムでも極端な光景をつくりだしている。これは合成写真なのだ。男性と女性はそれぞれ別々にライティングして撮っている。そうでないと女性の顔にこれだけ光を回しながら、そばの男性を暗く落とすことはできない。ブルーのバックも発色を良くするために合成している。
そして女性の上部にタイトルを入れる空間をつくるために、男性よりもかなり下に女性の顔がくることになってしまった。モダーン・デザインではなく古典的デザインなのである。
合成の証拠はもうひとつ、女性の目線が男性に向かっているようで、じつはかなりずれていることでもわかる。
いかにもな流し目を強調するための表情であり、これはけっして目の前の男を見ているわけではないのだ。そして、男は合成されたのだから実際にはそこにいなかった。
そんなわけで男はますます亡霊のように存在しているだけになってしまったのである。男の顔にも少し光を回しているのは、シルエットだけにしてしまうとあまりに不気味になってしまうので、少し表情も見せたということだろう。計算されている。
ところが男をシルエットにして、素晴らしい写真にしたジャケットもある。デヴィッド・キャロル楽団の「WALTZES, WINE AND CANDLELIGHT」。
カフェで再会のシーンだろうか?「やぁ、元気かい?」「そうね、あなたは?」なんて会話が聞こえてきそうだ。
スタジオ撮影で用意した小さなテーブルに、タイトルに合わせるように不釣り合いなキャンドルが置いてあるのが微笑ましい。そして女性はホルターネックのドレス。
筆者がいかにホルターネック・フェチかは、この連載で毎回のようにしつこく書いているが、やはり女性をセクシーに、かつ上品に魅力的に見せる最良のドレスは、ホルターネックでしょう!
このジャケット写真は構図のうまさ、明暗の対比、どこをとっても一級だ。写真をモノトーンにしたのも正解で、これがレス・バクスターの「Thinking of You」のように発色の良いカラー写真だったら、かなり興ざめになったはずだ。
ここでは男は影ではあっても亡霊ではない。デザイン的、物語的に重要な「シルエット=輪郭」なのである。
ただしこのアルバムは音楽の企画内容からジャケまで、ある作品のパクリというか二番煎じだった。その作品とは、ムード・ミュージック界で「ワルツの王様」と謳われたウェイン・キング楽団の「MELODY OF Love」である。
デヴィッド・キャロル楽団のアルバムと同じ年、少し前にリリースされたこちらは、ソファの背もたれ越しに女性が男性に話しかけている。「ねえ、踊らない?」といった感じだろうか。
モノトーンの写真で女性がホルターネックのドレスという共通点。しかもワルツ専門でもないデヴィッド・キャロル楽団がワルツのダンス・アルバムをつくったのは、あきらかにウェイン・キング楽団の人気を意識してのことだった。
デザイン的には文字の置き方、フォントのセンスで「MELODY OF Love」のほうが勝っていると言えるだろう。1950年代の古典的美学が見事に集約されたような写真とジャケット・デザインである。
ウェイン・キング楽団にはもう1枚、男女のロマンスをジャケにしたアルバムがある。やはり全編ワルツのムード・ミュージック、「the night is young」だ。
こちらもモノトーン写真だが、構図的にはむしろレス・バクスターの「Thinking of You」に近い。女性はイヴニング・ドレスで盛装しているから、パーティ会場の階段だろうか。男性はほんの少しの後ろ姿だが、木偶の坊でも亡霊でもなく、なにやらプレーボーイくさい。そんな男に強烈な流し目を送る女性。その眼力たるや!
いやはや、男なんてものはどんなシチュエーションでも、女をひきたたせるための添え物にすぎないのかもね。ともあれ、美女ジャケで流し目されたり、あるいは抱擁する男は、みなトリミングされてほんの一部しかジャケの画面には残らない。
いや、ほんとうはいなくてもいいのかもしれないが、女の愛の物語を補完するためにじつに控えめに存在している。
まるで主人公たる美女に言われているようだ。「私の物語の一部として、画面の隅に少しだけ入れさせてあげるわ」なんてね。
かつて漫画家のひさうちみちおが、いみじくもその漫画のふき出しに書いたように「男の肉体は過去の思想の遺物にすぎない」ということなのだろう。
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